2019年5月4日 6:48 AM

『私と釣り パートⅡ』

この時代(小学校~中学校)は竿は全て竹竿でした。今はカーボン、グラスと賑やかですがシンプルな時代でした。葛生町(栃木県)では釣り道具屋さんは駄菓子屋兼の1件だけ。糸と針、トンボ網、川遊びのタモのような物が有ったようです。時には餌も売っていましたが、川虫に色を付けたような半透明の赤虫が有りました。針に刺した瞬間体液が出てしまって潰れ気味の餌になりました。店には竹竿の高級品が置いてあったと思いますが、鉄くずを集めて小遣いにしていた時代ですので、子供が買えるはずがありませんでした。従って一寸釘を拾って来て、貨物列車のレール上で轢かせて平らにして作ったナイフでもっぱら「手製竹竿」作りです。時に手裏剣で忍者遊びもしていましたよ。(忍者遊びは昔もあったのです)

このナイフ(同種の似た写真)が遊びの原点でした。今では鉛筆削りだそうです。ガクッ! 子供に粗野になれと言いたいが我慢です。

中学校はいきなり東京暮らしでした。暫くは孤独な毎日です。「~だべー」「行くべー」と方言丸出しですからね。

服装も田舎服(色彩が暗い)です。いじめには遭いませんでしたが孤独でしたね。しかし釣りが癒やしてくれました。幸いに母方の親父殿が釣り好きでしたので多摩川(巨人軍キャンプ場付近)に連れて行ってくれました。魚もウグイ釣りに変わりました。浮き付きの流し釣りで30cmはありましたね、更にナマズも。餌はさし(ウジ虫)、又は糸ミミズ、どばミミズと言ったところでした。竿は譲り受けた高級竹竿でした。良く眺めて喜んでいました。この頃はさすがに野性的生活ではなく、いきなり武蔵野市吉祥寺(吉祥寺は当時、高級住宅街で有名)のお坊ちゃまになっていたのです。

 

(パートⅢへ 続く)

理事長 深谷憲夫

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